【 佳 作 】

【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
ありがとう
和歌山県 伊積利恵 38歳

『どうしてもここで働きたい』

そう思える求人と巡りあったのは、前職を退職してすぐに始めた再就活中のある昼下がり。私、ぎりぎり38歳。春が来れば…おぉ…39歳になる。

仕事をしている時にやりたかった全てのことに手間暇を掛けながら、諦めずに探し求めた私の働き方。でも、そうそううまくはゆかない。再就職なんて無理。働くなんて無謀…。肩を落とし、どこか遠慮がちに世の中に佇む自分。社会から取り残されてしまったような、そんなみじめな気分にゲップが出そうな日が続いた。

これまで揺るがない信念を持って生きてきた。『働かざる者食うべからず』。真っ当に働くことが当然だった。ひたすらにがむしゃらに働いてきた。そんな自分が好きでもあった。様々な事情も絡めつつ、働き方を考えるなんてことは自分にはない選択だった。

それがそうもいかなくなる。人生何があるかわからない。

前職に身を置いていた頃、どろどろと這うように出勤しては帰宅するなりバタンキュー。家庭があるのに、こんな日常が成り立つわけがない。ハードな職場だった。当時、成人スティル病と診断。薬の副作用に翻弄されながらも何とかカラダは動いてくれた。今日をやり過ごす。でも…働くとは真摯に過酷である。カラダはくたびれていた。思い出してもつらい。そして退職。未練はない。

ようやっと人生ではじめて、働き方を考える。しかも無職の身で。カラダ(病気)と向き合いながら働く。その難しさ。現実の厳しさ。考えるほどに、自分が半分になったような物足りなさを感じた。その時はまだ、働き方を決めるとは何かを諦めるようで、拗ねていたのだろうと思う。実際、再就活中、負担の少ない職種や勤務時間といった条件ばかりみていた。そうしてふと、ほんまは自分はどうしたいのか、と思うようになる。どう働きたいのか。譲れないものは何か。

そんな時に奇跡の求人に巡りあう。そこは以前からブログ等で活動を知り、密かにファンになっていたNPO法人。募集は正職員。ハローワークの5番の端末の前で動けなくなる。でも心は動いた。慌ててプリントアウトし、胸に抱え帰った。応募するまでにアホなほど時間を費やし、考えた。慎重になるには理由がある。

病気を理由に内定を取り消された経験は消すことはできない。
「健康な人が欲しい」反論の余地もなくて、誰が悪いわけでもないし、散々泣いて吹っ切った。悔しかったのは、きっと理解してくれると期待した甘え。そこがクリニックで看護助手の求人だったから…。

だからこそ考える。働くということを。

考えた末に家族に宣言!『働きたい』と。
『がんばれ』の大合唱。夫と子どもたちからのエールをお守りに、応募書類作成に取り掛かる。求人先に電話を入れると、切る直前に「ありがとう」が耳に届いた。一言の温かみに胸がじんじんした。どうしてもここで働きたい!…希望がますます募った。そして、採用通知を手にする。

ベルサイユのばらの切手が貼られたその封書を今も大切にとってある。震えるほどにうれしくて夫に電話をかけた。やっぱり喜んでくれた。学校から帰ってきた子どもたちも『おめでとう』をくれた。──ありがとう。

私の仕事は、障害児通所支援事業の指導員。利用者は未就学児から高校生まで。いわゆる障害児のための学童保育とデイサービスである。彼らは毎日違った表情をみせてくれる。今日もまた新しい課題が与えられた。勉強の必要な職務であると日々思う。だからこそ、私はここにきた。

病気が働き方を決めたきっかけではあるけれど、今は毎日が本当に楽しい。明日の仕事が待ち遠しいと思える職場は、なかなかない。みんなほんまに優しいから。

スティル病が今はSLEにその名を変えたけれど、カラダは正直である。
すこぶる体調がいい。日光過敏もなんのその!毎日の送迎にウォーキング、夏にはプール支援がある。でも私は元気だ。ありがとう。

一生勉強していきたい。

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