【 努 力 賞 】

【テーマ:○○年後の自分に宛てた手紙】
人生の決断猶予は今日から3年間
愛知県 NO.Name 22歳

25歳の私、今何をしていますか。夢は叶っていますか。それとも普通に働いてしまっていますか。

これを書いている今の私(22歳、つまり3年前の私)には働くということがどういうことなのか分かっていない。高校を卒業してから3年半、地元の工場で正社員として事務の仕事に就いていた。とても失礼なことを承知で言うと、その会社でどうしても働きたかったのではなく、ただ単に自宅から通える範囲で高校の時よりも早起きしなくてもよかったというのが理由で。もちろんそんな気持ちで始めた社会人生活はすぐに破綻を迎えた。仕事をしている自分が虚しくなってしまったのだ。たまたま私がその任に就いてしまっただけで誰にでも行える、私でなければいけないというわけではない、むしろこんな風に考える私以外の誰かが就いた方が適任だと思うようになってしまった。もちろんまだ働き始めて3年半という短い期間なのだから誰にでもできる仕事を振られるのは当然で、何年も同じ仕事を続けた結果、その人でなければ駄目だということになるのだから。会社というものは誰かが辞めたとしても困ることはなく、その穴を埋めるためにまた別の誰かが投入されるだけで、そんな当たり前のことが嫌だった。皆同じ思いを抱えているのかもしれないが、少なくとも私には我慢出来なかった。

働くとは。お金を稼ぐこと、生きていくために必要なこと、生きがい、そもそも働くこと自体に意味を求めるのが間違いなのだろうか。極端な話、紛争地など命を懸けて生きている人は自分のすることに意味を求めることはないのだろう。やらなければ死ぬ、ただそれだけなのだから考えている暇などないはずで。つまり私は平和だということ。ならばせめて与えられた平和を謳歌することにする。きっとどこかにある私にしかできない、代わりのきかない仕事を探すことにしよう。そこで私は自分の夢を思い出した。

私の夢は小説家になることだ。小説でなくともいい、とにかく文字を創作する人になりたかった。サブカルチャーが盛んな今の時代、同じように考えている人はたくさんいてほんの一握りの人しかなることは出来ないだろうし、なれたとしてもそれ一本でご飯を食べていくというのは更に限られた人だと分かっている。それでも周りの友人が頑張っているのだ。漫画家を目指してようやくデビューした人、声優になりたくて東京に行く資金を貯めている人、働きながら徹夜で自作動画を創って応募している人。そんな人たちばかりに囲まれているから夢を見てしまった。私も叶えられるかもしれないと。もちろん夢は夢でそんな簡単になれるわけでもなく、というか私はまだ応募することすらしていないのだけれども。

私は私を誰よりも理解しているつもりだ。きっとこれからも書く気になれないだとか、まだ経験が足りないだとかだらだら言い訳を続けるだろうから、私は期限を設けることにした。3年後の25歳。それまでに何の芽も出なければ小説家になることを諦めると。25歳というのは再就職をするにしてもぎりぎりの年齢だと思っているから(というところが逃げ道を残しているようでまだまだ甘いと思うのだが)それで、その一歩というよりはきっかけになればと、この「若者を考えるつどい」に応募することにしたのだった。

25歳の私は22歳の私を覚えていますか。今も小説家になりたいと思っていますか。それとも私には無理だと諦めてしまいましたか。私にとって仕事というのは自分の好きなことを、自分の本当にやりたいことを、自分にしかできないことを、誰かのせいにせず、後悔なくすることだから。小説家になれなくて別の仕事に就いたとしてもそれさえ忘れなければ大丈夫。もちろん、叶えるために最大限の努力をしたうえでの話だから、中途半端になることだけはやめたい。

ということで私も今の私にできる精一杯をしたうえで、3年後の私になるのを楽しみにしています。

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