【 努 力 賞 】

【テーマ:○○年後の自分に宛てた手紙】
働くことは、自己を肯定すること
法政大学デザイン工学部システムデザイン学科3年 田口 真義 21歳

私が考える「働く」の定義は、「仕事という社会貢献を通して、自分の存在意義を確かめ、自己を肯定し、生活に活気をもたらすこと」である。つまり、一般的に人々が思い抱くような「お金のために働く」という考え方は表面的なものであり、本質的な目的は「自己を肯定するために働く」ということである。

働き方は人それぞれ異なるが、どんな人でも何らかの形で社会に貢献していなければならないと思う。それは、たとえ一生暮らしていくのに困らないほどのお金があったとしてもである。その理由は、先に述べたように、「自分はこうやって社会に貢献している」というような自己を肯定する感情を抱くことが人生を営む上で重要なことだからである。たとえどんなに経済的に自立していたとしても、社会や人々から必要とされなくなったとき、はたして胸を張って人生を歩むことが出来るだろうか。私は、絶対に出来ないと思う。極論を言うと、定年退職後の高齢者も何らかの形で仕事をするべきである。それは、週に1日でも構わない。自分自身が代わりのきかない貴重な存在だということを噛みしめて生きて欲しいからである。

私は仕事に対してネガティブな考え方を抱いている人は、働くということに対する根本的な考え方が間違っているからだと思う。人はみな何かしらの才能を持っている。普段意識していないがためにそれに気が付かないか、気が付いていても上手な活かし方を知らないだけなのである。もっと積極的に自分の才能を「仕事を通じて」活かして欲しい。自分にしか出来ないことがあるということを認識して欲しい。そもそも人生全般において言えることなのだが、たとえ才能と実力があったとしてもそれだけでは成功は掴めない。自分を売り込むマネジメント力と良い縁を掴み取る貪欲さが極めて重要なのである。

最後に、私が10年後に描く理想の働き方は、「無給で働いても良いというような仕事をしていること」である。たとえサラリーマンのように朝から晩まで汗水垂らして働くような、古典的で過酷な就業スタイルだとしても、その仕事が社会や人々から本当に必要とされていて、自分自身も楽しめるような仕事であれば、無給でも構わない。実際、本当に給料が支払われないのは困るが、心構えとしてはそれでも良いというような仕事をしていたいと思う。そのためにも、自己を肯定できるような仕事に私は就きたい。

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