厚生労働省職業能力開発局長賞

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
看護師になった日
阿部 喬子 32歳

21歳の春、私は看護師になった。きっと、これからもずっと忘れられない患者に出会ったのは、看護師になって一年目。脳梗塞で入院した40歳代の男性だ。入院してすぐの頃から、私を見付ける度に患者は声を掛けてきた。
「おたんこナース、今日も頑張ってるか」こんな言葉なら良い方。廊下を小走りに病室から病室へ移動していると、
「おたんこナース、早くしないと患者が待ってるんじゃないか」
いつもいつも、絶妙なタイミングで私を焦らせた。少し笑いながら、声を掛けてくる。その患者の担当になった日など私にとっては最悪な一日。必死の笑顔で何とか看護師を演じた。

ある日、いつものように夕方の点滴を開始するため患者の部屋に行く。患者も慣れた様子で、いつものようにパジャマをめくり準備をする。いつもと違ったのはその後、なんと針を挿入する辺りの腕の毛を患者がきれいに剃って、血管が見えやすいようにしてあるのだ。いつも必死に血管を探す私を気遣ってのことだとすぐに気が付いた。動揺しながらもアルコール綿で挿入部を清拭する。何とか無事に点滴を開始し、ほっとしながら仕上げの固定をしていると、
「点滴、うまくなったなぁ」
思いもよらぬ患者の言葉、声のトーンに今度は動揺を隠せなかった。数秒後に何とか絞り出したのは、
「ありがとうございます」
という、ごく普通の言葉だった。そう言えば言葉の初めにいつもの「おたんこナース」がない。病室を出て、相棒のワゴンを押しながらナースステーションに戻る。相棒に乗せた血圧計や聴診器が涙でもやもやして、揺らいで見えた。ああ、そうだったのか。いつも緊張して「看護師」をしていた私を気遣って、「おたんこナース」と呼んでいたのか。だってそう呼ばれると、少し腹は立ったけれど、不思議とガチガチに凍りついた表情が溶けていくのが自分でも分かった。ようやく気が付いたのは、患者が退院するほんの少し前のことだった。看護師は突然「看護師」にはなれない。きっと患者が人を看護師にするのだ。あの日くれた言葉は、くじけそうになった時後ろを向かないように、そっと私を誘導してくれる。

29歳の夏、私は看護教員になった。学生達に、若い頃のおたんこナースぶりを自慢気に話す、私がいる。

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