【 努 力 賞 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
五つの言葉
埼玉県 千草 啓一 76歳

混みあう朝の通勤電車から解放され、今年で16年が経った。

私は60歳の定年退職をする前まで20年間を東武線の新越谷駅から茅場町駅まで、1時間程の職場へと足を運び続け働いた。

人生において、「働くっていう事」がどんなに大きなウエイトを占めていたかとつくづく感じる。この間車内で幾つかの働く姿の移り変わりをいくつも見聞したが、私の記憶のなかで今も鮮やかに蘇る1つ出来事がある。

ある朝、春まだ浅い3月に出くわした、足立区西新井駅での事故。

こんにちのように携帯電話やスマートフォンを誰もが持っていない時代だったから、乗客は「何事か。もう7時半が過ぎたよ。遅刻だ。」などと車内は重苦しい雰囲気に包まれた。通勤時間帯に生憎乗り合わせた中年のおばさんは、少し青ざめた顔でお気の毒にと・・。隣に立っていた白髪まじりのサラリーマン姿の人が「人身事故だな」と、私に話しかけるようにつぶやいた。「下りホームの電車が停まったままですから」と、私は相槌を打った。急に親しみが湧いたかのように、実は僕の会社でもつい先日、同じ部署の40歳代の男性が。「残念なことでした、相談に乗ってやることが出来なくて」と言葉少なに語ってくれた。

電車は40分ほど遅れ8時過ぎ、北千住駅についた。彼は「どうも」と挨拶し降りていった。

朝の出来事が頭の隅から離れなく何時もより1日が長く感じられた。

働く環境は現在も厳しいが私が働いていた当時も早朝出勤・残業は当たり前。

その日も1日の営業実績を集計し終え、帰宅したのは午後11時を過ぎていた。何時もの習慣で夕刊に目を通すと、
今朝の出来事が小さく・・「東武線で40分の遅れ」。年齢35歳(男)会社員と記事にあった。その人の事情など分かる由などなかったが、ここ数年自ら命を絶つ人が3万人も・・。 私は風呂の湯に身を委ね、自分の過去を振り返っていた。転勤で仕事に馴染めなかったこと、毎月ノルマが果たせない苛立ち、お客様とのトラブルなどから、自分も同じ悩みを抱え、その一歩手前にいたことが蘇る。

そんなとき、私に手を貸し、救ってくれたのが、2つ上のK上司が相談にのってくれた。彼は、「時間が解決してくれる・あせるな・自分を責めるな。考えこむな・何とかなるさ」の『五つの言葉』を自分の経験談として話し、私を救ってくれた。時代背景も働く姿も変化し、今も厳しい時代ではあるが、戦後の苦しみや悩みの時代から、高度成長期と働く環境はさまざまに変貌してきたが、先人はそれに挑戦し乗り越えてきた。

私が76歳まで生き続けてこられたのは、苦しみ悩んだ時良き上司Kさんに相談し教えて貰った「五つの言葉・わたしの背中を押してくれた一言」に出会うことができたから救われ現在があると、感謝している。

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