【 佳 作 】

【テーマ:仕事から学んだこと】
病院は眠らない
埼玉県 小松崎 六未 45歳

夜勤入りの夕方近い時間帯で、暮れゆく空を背景に、病院を見ていつも思う。 「ここは24時間365日、休むことなくフル稼働なんだ」
どこの世界に病原菌が、今日は休もう、と思うんだろうか?患者さんの身体は、一秒たりとも休まない。寝ている時間帯にこそ、微々たる変化を察知しなければならないのが、夜勤の仕事である。

私は看護師ではない。介護をしている。以前はデスクワークで、主に銀行業務をしていた。当時、アメリカの外資系銀行で働いていた私は、サブプライムローンを経たリーマンショックの影響で、その銀行ごと失い現在の仕事に至っている。正直、畑違いの転職で不安がない訳ではなかった。しかし、対コンピューターだった仕事から対人への好奇心があったのは事実だ。デスクワークでは、前を向いても横を向いても、壁で仕切られていた。人との関わり合いがない分、ある程度自分のペースで仕事を進められる利点があった。しかし、この時の私は、日本の不景気で、何の感情も持たない冷たいコンピューター相手ではなく、人と接してみたい気持ちになった。

職業人ではなくて、仕事人になりたかった。

職業訓練校の介護講座を修業し、就職した。この時の私は、介護に熱意を持つ講師陣たちの意志を持って、お年寄りベースのヘルパーになることを強く決意した。理由は、介護する側の都合で、介護されるお年寄りは二の次になっているのが現状だったから。

私は初心者で、ベテランばかりの職場の中で、簡単なことすら、手取足取り教えてもらわなければならないほどだった。当然、教わる内容のほとんどは、いかに自分たちが楽できるか、というものだった。排泄介助の時間帯以外の便の処理は、よほどの事がない限り、放置された。これをこっそりやるために残業し、介助することこそが私の信条だった。

私は社内で嫌われてもいい、というスタンスで働いていた。患者さんこそが、私の相手だから。夢中で仕事を覚え、妥協することなく患者さんと接した。

1年が過ぎ、2年近くなった頃、自分と共に働くベテラン介護士さんたちのほとんどが、腰痛などの持病を抱えていることに気付いた。中腰になることすら、厳しい状態。それでも患者さんを支えなければならない。ひとりの患者に、ふたりの介護士を使うことは、貴重なマンパワーの損失にもなる。

介護する側もまた、人間なんだ。

私は、これまでの対人という仕事の視野を、考え直した。いっしょに働く先輩たちへの対人でもあるのだ。

介護講座で勉強していた時、介護とは「安全・安楽」であることが理想、と教わった。お年寄りが安全安楽でいることが、介護する側の安全安楽にも繋がる。
患者さんも、同じ仕事を持つ同僚たちも、ひとつの社会の中にいる。両方とも大切な人たちなのだ。

医療介護現場というのは、小さなミスも許されないリスクの高い仕事なだけに、厳しい世界でもある。だからこそ、集中し叱咤に負けない精神力が必要となる。

まさに仕事人。職場内では厳しくて、負けそうになる時もあるけれど、同僚の人間的な素晴らしさは、デスクワークで得るものとは違う。

私は、仕事も好きだけど、同僚の素晴らしさに感動しない日はない。この人間関係があるからこそ、毎日が充実し、私の人生の財産なんだと思う。

しらじらとする夜明けを見て、無事に夜が過ごせたことに、ほっとして思う。 病院が眠らないからこそ、患者さんと患者さんの家族が、安心して眠れることができるんだろうなぁ。

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