【努力賞】
【テーマ:私を変えたきっかけ】
カンボジアの遺跡で働く子供たちに教わったこと
福岡教育大学2年  夫馬 ひな乃 20歳

働くということは、どのようなことであるのか今まで漠然としか考えてこなかった。ただ、大人が社会人としての勤労の義務を果たすため、自立した生活を送るのに必要なお金を得るために行うことであると思っていた。しかし、先日カンボジアを旅行した際に訪れた遺跡での子どもたちとの出会いが、そのような私の働くことに対する考えを変えた。

まず、遺跡にはさまざまな年齢層の子どもがいたが、みなそこに遊ぶためにいるのではなく、外国人観光客を相手に商売をしてお金を得るためにいた。例えば、3歳にも満たない少女で幼いにも関わらず様々な国の言葉を駆使し、土産物を売っていた。また、10歳の少年で学校も行かず、また必要な資格も持たずに遺跡の観光ガイドを行っていた。彼らに、なぜ働いているのか質問してみると以下のような驚くべき答えが返ってきた。まず、少女は母親であろう女性を指さして「商品が全部売れたらお母さんは喜び私のことを褒めてくれる。でも、売れ残ったらすごく怖いの」と笑顔で答えてくれた。また、少年は「本当は、学校に行って観光ガイドになるために必要な知識や外国語を学び、資格をとって本物の観光ガイドになりたいと思っている。でも、家庭は貧しくて自分も働かないと家計が苦しい。それに、家の近くに学校もないし、両親も学校に通っていないから学校は必要ないと言っている。だから、僕は毎日この遺跡に来て物を売ったり、ガイドをしているんだ」と残念そうに答えた。このように、家庭の事情によって幼いころから働かされていたり、夢を諦めざるを得ない子どもがいたのだ。

同じ年齢の子どもであっても、国や彼らを取り巻く環境が違えばこんなにも教育的格差が生じてしまうのかと衝撃を受けた。日本では、中学校までの9年間が義務教育であり99パーセントの子どもが就学している。また、カンボジアにおいても義務教育は日本と同様の9年間である。しかし、その就学率を見てみると、小学校では94パーセント、中学校ではわずか34パーセントとかなり低い数値であった。カンボジアの就業率が低い理由としては、次のようなものである。家庭が貧しいため学校にいくことができない、家の近くに学校がない、自らが子どものころ学校に行って教育を受けていないので学校に行っても意味がないと考える大人が多くいることなどが挙げられる。

私には、将来教師になって子どもたちとともに日々学び、感動し、彼らの成長を身近で見守りたいという夢がある。また、将来社会を担っていく子どもたちにとって教育を受けることは、必要不可欠なことであると思う。これは、国が違っても同じことが言えるであろう。なぜなら、教育を受けた子どもたちはやがて大人、つまり社会の一員となり自らの手で新たな社会を作り出していく存在となるためである。また、教育を通して得た知識、学んだことを役立てて活用していくことで、国全体の更なる発展へとつながっていくのではないかと考える。だから、カンボジアの子どもたちが日本の子どもたちと同じように働かずに毎日学校に行くことができるように、カンボジアの大人たちには一所懸命働き、教育環境等を整えてほしいと思う。また、大人が社会の一員としての自覚と責任を感じ、共に協力し合い働くことによって社会も変化し、これからを生きていくこどもたちに住みよい社会をプレゼントすることができるのではないかと考える。日本において、戦後大人たちが国の復興のために汗水たらして一生懸命働き目覚ましい発展を遂げたように、きっとカンボジアの人々も発展を遂げることができるであろう。私も大学を卒業したら、これからの社会を生きていく子どもたちが未来への希望を持ち、将来の夢を持って生きていくことのできるような明るい社会を作り出していく手助けをしていきたいと考えている。

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