【佳作】
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私を変えたきっかけ
東京都 江戸川区  齊藤 真美 28歳

8月1日は私の独立記念日だ。

今年の8月で一人暮らしを始めてちょうど一年になる。

働いて自分で暮らしたいと思ったのは大学生の頃からだから、7年越しの夢が昨年やっと叶ったのだ。

なぜそんなに時間がかかってしまったかというと、ひとつの仕事を長く続けることができず、生活の基礎になる定収入がなかったからだ。

25歳の時、派遣で2年勤めた公共図書館を解雇された。理由は、2年も勤めているのにミスが多い、集中を欠いているなどといったことだったが、それには訳がある。

私には見た目には殆どわからない障害があった。11歳の時、脳梗塞になった後遺症で片麻痺があったのだ。片麻痺は身体の麻痺ではあるが、単純に手足が動かないということだけでなく、疲れやすい、イライラしやすいなどといった精神面にも症状が及ぶ障害だ。

職場で指摘された欠点も、今思えば体調から来るものが大きかったが、当時は職場の人に話すことができず、それ以前に自分自身の体に対する理解がなく、公には何の説明も改善もできぬまま退職することになった。中には個人的に事情を話すことができ、暖かい言葉をかけてくれた人もいたが、私は失望し、途方に暮れていた。

そんな時、治療のために通っていた整体治療院の先生が思いがけず雇ってくれることになった。自分が身体が悪いのに人の治療をする側で働くことに抵抗がなかったわけではないが、他に行く宛がなかったので迷いはなかった。

治療院の仕事は洗濯や掃除など肉体労働が主で、はじめのうちは正直ついて行くのがやっとだったが、自分の症状について理解してくれている人の中で働く安心感で続けることができた。労働時間も年々増えて引っ越しに必要な資金を貯めることができ、昨年とうとう念願の一人暮らしを実現することができた。

通っていた整体治療院の先生が、雇用者になってくれたおかげで独立できることになったわけだが、先生が私にしてくれた最高の治療は私を働かせてくれたことだった。治療院で働く前、単純に患者として3年ほど通っていたが、働きはじめてからの症状の改善が目覚ましく、治療だけをしていたころよりも各段に早いペースで良くなってしまった。毎日必死に身体を動かして働くうちに体力もつき、今では働いて家賃を払いながら普通の人と変わらぬ生活を送れている。

家を出る前、私はずっと、病気だから働けない、と思っていたが今になって思うと当時の自分のままでは甘えが強くて、たとえ健康であっても自立して暮らすことはできなかったと思う。その甘えた自分でも何とか働こうとしてきたのは病気を治したかったからだ。有り体に言えば、治療費が必要だったからだ。だから、本当は病気だったから働こうと思ったのだ。そして、勤め先も病気が紹介してくれたようなものだ。

11歳で病気になってからずっと病気のことを恨んでいたが、様々なことを教えてくれた病気に今は感謝している。病気先生と呼びたいくらいだ。これからは、世の中で喜んで働きながら、病気先生から教わったことを自分と同じことで困っている人や、その周りにいる人たちに伝えて行きたい。

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