【努力賞】
【テーマ:仕事から学んだこと】
仕事から学んだこと
東京都 文京区  松井 理恵 61歳

結婚して仕事をやめて子育てに専念する。と言えば聞こえはいいのだが、結婚を期に仕事が止められるという思いも一方ではあった。子育ての10年間は大変長く感じられたが、子供達はあっという間に大きくなったという感もある。学校ではPTAの仕事が待っていた。私のように主婦だけやっていると、ほとんど集中してあれこれ仕事が回ってくる。周りを注意深く見回してみると、みんな逃げ方が上手なのである。「年を取った親がいるので」とか、「仕事をしていますので」と言う具合である。その時私は気がついた、「そうか、仕事を見つければいいんだ」と。

不純な動機で始めた仕事ではあるが、自宅から近いし、非常勤職員なので、フルタイムとは違い、子育て主婦にはありがたい職場に採用された。仕事を始めた時は丁度40歳。当時「パソコンは使えますか」と面接官に聞かれ「できませんが教えてください」と言う程度で採用していただけた。そしてこの職場で10年間、学会論文の受け付け、前処理、入力業者への引き渡し作業をしながら社会ともつながることができた。

その後も仕事と子育ての両方をしていたが、50歳を過ぎたころ、ご縁があって、ハローワークの相談員として働くようになっていた。ハローワークに採用されて窓口に出た時感じたのは、専門知識の少なさだった。その時私がしたことは、カウンセラーの勉強をすることだった。1年間かけて毎週土曜日朝から講義を受け、資格取得し、やっと人の話をきちんと聞ける相談者になった気がする。このように足りないところを補う気持ちがあれば、何時だってなんとか間に合うものなのではないだろうか。

相談の窓口にいると、自分にはこの資格もあの資格もないからと肩を落とす方ばかり。そうではなくて求められるものは、あなたの心からのやる気と相性の問題です。自分に期待されていることが何であるか、きちんと把握でき、そのことをやり遂げたいと思う強い気持ちが、働くと言うことではないだろうか。

採用が決まらず、私のところに通っていらっしゃった方がある時「どうして決まらないんでしょうか、これ以上私は何を直したら良いんでしょうか」とおっしゃった。私は言葉が無かった、私が事業主ならあなたを採用していますと思えるような方だったから。その方は「いつでも飛びたてる翼を持っているのに」とも。そして間もなく希望の職場に採用されたと報告に来て下さった。本当に「いつでも飛びたてる翼」とは何とピッタリとくる言葉だろう。

大変残念であるが、私はこの学びの多い職場の仕事をやめて2年経つ。

私は難病パーキンソン病患者。この病気を発症してから、一時期失意のどん底だった。「どうして私なの」という絶望感を、どうすることも出来ずにとても苦しかった。

当時、薬が効かなくなってきたのでDBS(脳深部刺激術)を受けた。発病後十数年経ち、気分的にもパニック状態だったと思うが、十分考えて納得した上で受けた手術であった。しかし退院はしたものの体調がすぐれず、気持ちも前向きになれずに、その年度の3月に仕事をやめた。59歳。その結果家と病院に行く以外何もできない生活に変わってしまった。仕事はやりがいもあり、是非職場復帰をしたいと心の底から思っていたのに残念である。

あろうことか遺書まで書いて自殺願望だった時期もあった。だけど悲しんだって、嘆いたってどうにもならない。この病気をひっくるめて私は私なのだから。

人生は続いて行く、生きて行くためには希望が必要だ。幸い絶望の淵から引き返すことが出来た私は、又希望を持つことが出来るようになっている。明日が続く限り私は、健康な心を持って生きて行けそうである。仕事をしていて教えられたことである。

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