【佳作】
【テーマ:仕事から学んだこと】
小林君との出会い
甲府市  入倉 文子 59歳

私は数年前、私立高校を退職し、非常勤講師になった。フルタイムで働くことに体力の限界を感じたからだ。

講師の仕事は、教えることに専念出来る良さはあるが、授業以外で生徒と接する機会はとても少ない。生徒と一緒に掃除をしたり、廊下で立ち話をしたり、そんな小さなふれあいがどんなに大切なものか、改めて思い知らされた。もっと人と密に接する仕事がしたい。でも、何をすればよいのか。悩みながら一年が過ぎた頃、友人から電話をもらった。彼女の知り合いに看護学校を受ける青年がいて、国語を教えてくれる人を探している。時間があったらみてもらえないかということだった。それが小林君との出会いのきっかけだった。

小林君が我が家にやってきたのは、春の日の午後だった。チャイムの音に玄関を開けると、長身で色白な青年が緊張した面持ちで立っていた。

彼は、25歳。介護福祉士として老人ホームで働いている。お年寄りが大好きなので仕事はとてもやり甲斐がある。でも、入所者が急に具合が悪くなったとき、介護福祉士に出来ることには限界がある。それで看護師資格を取ろうと決意したという。

訥々と話す彼に、私は心を動かされた。お金が第一の今の世の中にも、こんな若者がいるのだ。彼の夢の手助けがしたいと強く思った。

それから小林君との週に一度の勉強が始まった。

入試は半年後。国語と小論文で受けられる社会人入試は、8倍から10倍という狭き門だ。彼は漢字が苦手で、作文は大嫌い、何をどう書けばよいか分からないという。

ある時彼が「ジョーダンが通じない」と書いていたので漢字に直すように言った。すると真面目な顔で「ずっとカタカナで書くと思っていました」と言ったので、驚いてしまった。そんな彼と新聞を一緒に読みながら、漢字や言葉の意味を教え、要点をまとめる訓練をした。時には新聞の人生相談の回答者になったつもりで文章を書いたり、4コマ漫画を題材にして、それを読んでいない人にも分かるように説明する文章を書いたりした。文章は「過去、現在、未来」の2つに分けて、1段落目は私が書いて、続きを彼が書くことから始めた。はじめは4百字も書けなかったが、訓練を続けていくうちにだんだん長く書けるようになった。

勉強が終わるとお茶を飲みながら、おしゃべりした。おしゃれなTシャツからほのかに石けんの香りがする小林君は好青年だ。でも、勤務が不規則なので、なかなか彼女が出来ないのが悩みだという。
ある日のティータイム。仕事の話になった。
「夜勤の日はまずおむつ替えから始まるので、中々夕飯が食べられないんですよ」
この言葉に私は思わず言ってしまった。
「そりゃ、そうよね。おむつを替えたあとでは食欲がわかないでしょう」
「いや、そうじゃなくて時間がかかるから、食べるのがどうしても遅い時間になるんです」
私は自分が恥ずかしく、小林君はさすがにプロの介護者なのだと頭が下がる思いだった。

試験の一週間前、「過去問」を繰り返し解き、私が面接官になって模擬面接も何度も行った。試験の前日には、彼の好物のどら焼きを一緒に食べ、「合格祈願」鉛筆を渡すと、とても喜んでくれた。

合格発表の日。小林君から電話があった。声が震えている。
「先生、見事合格しました」
自分で「見事」と言ってしまう小林君がちょっぴりおかしかったけれど、私はうれしくて涙が止まらなかった。

あの時から3年、小林君は、国家試験目指して頑張っている。私は講師の仕事を続けながら、家で小さな国語教室を開いている。口コミで看護学校を目指す若者がやってくる。みんな純粋な若者だ。彼らとの心のふれあいが私の生き甲斐だ。
「先生と一対一だから何を聞いても恥ずかしくない。少しだけ作文が好きになった」

こんな言葉を聞く時、とても幸せな気持ちになる。

小林君との出会いから始まったこの仕事を、私のライフワークとしてずっと続けていきたい。

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