【佳作】
【テーマ:仕事から学んだこと】
仕事から学んだこと
鈴木 みのり 42歳

「働く」と聞いて、次に連想するものは何ですか?「お金」「生活」「生きがい」人それぞれの連想があるはずです。かくいう私が連想するものは「責任」。では、この連想に行き着いた話をしましょう。

私は、生まれつき染色体異常を抱いています。ヌーナン症候群というのがその名。ダウン症などと似ていて、心臓疾患や視覚・聴覚・知的障害も起こります。私も、肥大性心筋症以外にも、斜視・眼瞼下垂・難聴があります。そんな障害が、低身長や顔つきの異貌という外見的異質さを生み、体のしんどさ以上の辛さを味わうことが42歳の今もってあります。そして5年前、左胸にICD(植え込み型除細動器)を入れ生活しています。

こんな私も、多くの人達の支えによって短期大学まで進学し、資格を生かして大学図書館で8年働きました。臨時職員待遇でしたが、恵まれた職場だったと今でも感謝しています。その後、一時体調を崩し療養してから、派遣社員登録をして別の大学の事務職に就きました。が2年で、家族の介護や再び体調を崩したことで退職しました。33歳の頃です。

以来、療養生活の中で介護や家事に従事する毎日。母の年金と姉の給与からそれぞれ1万円ずつの小遣いが、私には「給与」と言えるでしょうか。不満は無いか?と問われれば、皆無とは言えません。周期的に「障害者雇用相談」へ行こうかと思いますし、障害者年金欲しさに内緒で申請した時もあります。(不適用となりましたが)経済的に余裕が生まれれば、通院の負担や食費等の生活の負担を母と姉から減らせますから。でも、お金が欲しいと思う私の一番の理由は、お荷物になりたくないからです。引け目・弱みから解放されたいからです。時折、ジレンマに陥ります。「私は、死ぬまで2万円に縛られていくのか」と。2万円で何が出来るしょう。交際費や携帯代など、ちょっと油断すればひと月もちません。

そんなジレンマから脱せねばと思う時、私はあの「外勤時代」を思い出します。過去の栄光にすがるのではなく、過去の醜態に懺悔するのです。私は、確かにベストを尽くして勤務しました。でも、本当にそのマイベストが職場のベストだったか?と思い返したのです。自分流のやり方に自己満足していただけなのではないか。忠告の気配を読めなかったのではないか。そう視点を変えて過去を辿ると、思い当たる場面がポロポロと浮かび上がってくるのです。そして先輩や同僚にカバーしてもらっていたからこそ勤められたのだと、未熟な自分を恥ずかしく思うのです。しかも、強い思い込みや自分流を押し通す傲慢さが、未だ直せないでいる私にも気づきます。気持ちのどこかで、ハンディキャップゆえの甘えもあるのだと。本当に情けない42歳です。

「外勤」から離れて10年が経とうとしています。「外勤」の現場をこんなにも離れてしまうと、「外勤」への希望を失わなくても怖じてしまいます。でも、だからこそ今の「内勤」に「責任」を持とうと思うのです。「働く」は「責任」。責めを任せられる、たとえば家族の健康な生活の為の、食事や掃除などを身贔屓なく「文句無し」と任せ得るようになれたのなら、「外勤」への飛翔の基礎力になるかなと。

「外勤」が叶わないまま、病状が進行してしまうこともあるかもしれない。でも「働く」とは、どんな状態でも出来る事。寝たきりになっても誰かを励まし一時笑顔に出来る事も、それなりの「働く」形だから。

「外勤」10年間は、私の宝物。その宝物を輝き続けさせる為に、私は今日も懺悔と感謝を捧げ、「内勤」に精を出しています。

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