【佳作】
【テーマ:仕事から学んだこと】
あきらめないで
名古屋市  M O 40歳

「退社させて下さい。」

悩みに悩んだ末、私は好きでしていた仕事にそう言ってピリオドを打った。長年生きてきた結末がこれかと思うと涙が止らなかった。 

その仕事は自らが好きで始めた仕事だったが、残業時間の多さや業界の景気の悪さに不安感を抱き、絶望の中で毎日仕事をしていた。

当時38歳、東京で一人暮し。「この職を失ったらもう食べていけないかもしれない」と感じてはいたが、続ける事もそれ以上に苦しく、考え抜いた末に退社を決心した。

退社して自分の誇りや責任感、収入等全てを失った。もう名刺や肩書きも何もない。

それから苦しい失業生活の幕が開けた。

まず何をしたらいいのか、何を希望に生きれば良いのか解らなかった。眠る事で現実逃避したくて、病院に行き睡眠薬を要求したり(病気ではないので断られたが)病気で苦しんでいる人の代わりになって、生きるのを止めたいと思ったりもした。

この先一人暮しをしていて夢が見つかったとしても、もうこれからは追えはしないだろうとも思っていた。そんな矢先に、東北地方太平洋沖地震に遭遇。当時住んでいたマンションの窓ガラスが割れ、室内はめちゃくちゃになり自分の心もめちゃめちゃになった。

自宅前の道には仕事を持っている人が民族大移動のように歩いて勤務先に向かっているそれを半崩壊した部屋から眺めていると、どうしてあの中に私は入れないのだろうと複雑な心境になった。歩いてる人が皆エリートに見え、大勢の人々と同じ行動がとれなくて世間からはみ出している気分になった。

それに気がついた時「失業して泣いている場合ではない」と自覚した。まずは生きていかなくてはならないのだ。私はマンションを飛び出し、名古屋の実家に帰る事を決めた。

雇用保険を受給しながらの出戻り。世間から見ればいわゆるパラサイトシングルである実家に職なしで住着くのは、思いのほか居心地が悪く最悪な気分だった。自宅を出れば近所の人と顔を合わせ、笑顔で挨拶するだけでも精一杯。何か適当に仕事を探して、惰性のように感情のない動物として生きていこうと思っていた。

そんな時、たまたま雇用保険の住所変更手続きをしたハローワークで事務職の求人があることを知り応募する事になった。

運良く採用が決り私は半年間のプー太郎生活を脱出する事になった。

入所当時は仕事をする意味が本当に解っていなかった為、充実感を味わう事なく、機械のように感情のない生き物として毎日仕事をしていた。

そんなある日、受付を担当し利用者の方に「有難う」と言って貰えた機会があった。

その時こんな自分でも人の役にたてたと思うとかなりの充実感があった。それから受付業務を続ける上で利用者から多くの質問を受けるようになり、目の前の人の支援に自分が直接携わりたいと感じるようになっていった。

仕事から学んだのは、仕事をする目的は、仕事から得るもの(給料等)という感覚で働くより、与えるものと思って従事する事が大切だということ。

カウンセリングの理論家に偶然の出来事の大切さをうたった人がいる。まずは動いてそこからやりたい事を見つけ出す手もあるのだ。とにかく目についた事から挑戦していけば何かが見えてくる。自分が思ってもいない方向や嫌いだと思い込んでいた事に意外とマッチする場合もある。色々と見えるようになってから、自分の理想とする人も出現した。そういった人を見つけると具体的な方向性も生まれてくる。

ただただ惰性のように生きていた私は働くうちに当時の上司に目標を見つけることができた為、これからはその方向に進むと決心した。失業した一年前には思ってもいなかった展開である。実家に居辛くたまたま動いた結果こうなった。

入所当時は受付けとしてスタートしたが今では専門的な勉強をしてキャリア・コンサルタントとして窓口に就き、毎日充実感のある生活を送っている。

「心が決まらず動こうかどうか迷っている人を見たら背中を押す」それが今の私の仕事である。

まず動くコトから始めてみませんか。

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